和を以て貴しと為す
京都は地震の影響も全く無く、平常な毎日が流れています。
テレビやインターネットなどがなければ、東北・関東を襲った大災害の存在など気づきもしなかったことでしょう。
ところで、NewYorkTimesの面白い社説を読みました。
これを書いた人物は阪神淡路大震災の時、日本に駐在していた人らしいです。
Sympathy for Japan, and Admiration - NYTimes.com
この中で「自然という単語は明治になって生まれた」という話があって
調べてみたら、natureという単語に対する訳語として自然が使われたのが明治時代だったようです。
それ以前にも自然という単語はあったのだけど、全くことなる概念だった。
どう違ったかというと
・「nature」理性のある状態(By ゼノン(ヘレニズム時代))
・「自然」人の手が入っていない状態。いうなれば「非人工」
これ、非常に興味深いと思います。
ここから先の考察が、論理的かどうか自信はないのだけど
理性がある≒話せばなんとかなる、という感じがします。
このようにnatureを捉えていたからこそ、西洋で自然法則を数式で表す物理学が花開いたのだと思います。
一方、古来の日本において、そこにあるのは八百万の神が住まう場所。
人知を超えた存在であって、克服する相手ではなく、共存する相手であり、受け入れる相手。
そして、NYTimesの記者によれば、「natureという概念を表す必要がなかった」
言うまでもなく、地震や津波などは、人の手を入れようがない存在。
それくらい、日本という国において、今でいう自然というのはありふれた存在だということなのでしょう。
今回の災害は、日本の長い歴史の中でも屈指の被害を生みました。
けれど、古の時代から、幾度と無く振りかかる災厄を受け入れ乗り越えてきたこの国だから、きっと今回も大丈夫。
地震発生から、日本全国で1件も略奪などによる被害が報告されていないそうです。
僕はこのことにとても感動しています。
僕にできることは何かないかと考えたのだけど、豚の貯金箱を割るにとどまりました。
ボランティアに行く予定はありません。僕が行っても邪魔になるだけなので。
結局、僕のような若者ができる最大の復興支援は、まっとうな社会人になり、これからの社会を引っ張っていくことなのだと思います。
頑張りましょう。