承認欲求の果て

話は「承認欲求」についてである。

マズローの欲求階層説は既に学術的には否定された過去の遺物だと聞くが、ここではこの過去の遺物を頼りに話を進めたい。

欲求階層説において承認欲求とは第四段階の「自我欲求」に含まれる欲求である。マズローが作った欲求階層が全五段のことを思えば四段目とはずいぶんと高尚な物のように感じてしまうが、その実二段目まではほぼ生き死にに関わる問題であり、日本社会に生まれた我々の多くが物心がつくとまずエンカウントするのが三段目の「帰属欲求」で、それを乗り越えた先に待ち受けているのが自我欲求なのでそれほど大それたものではない。ちなみに最後に待ち受けるのが「自己実現欲求」である。

帰属欲求が何か分からぬ人は中二病だと思えばよい。中二病とは何かしらの集団への帰属欲求をじっくりコトコトと熟成させた挙句逆方向に暴走し、一匹狼を気取って共同体への参加を拒否しようとする少年少女のささやかなレジスタンスのことである。そして、どうにかこうにか帰属欲求を満たしたのちにやってくるのが自我欲求、すなわち承認欲求だ。いい大学に進みたい、異性にちやほやされたい、などなど青年期の見栄っ張りの虚勢にお湯を注ぐ主犯格である。

各言う僕も承認欲求の下僕であるが、ここまでそのことを自覚してはいても、それほど問題視してこなかった節がある。というのも、時間が経てば勝手に解決する類の問題だと思っていたためだ。

しかし、某ハックルベリーに会いに行く人の奇行を見ていて、どんなに社会的に成功している人でも第五段階にいつまでたっても進めない人はそのままであり、このまま手をこまねいていれば自分も同じ穴の狢になってしまうのではないかという恐怖がふつふつと浮かび上がってきたのである。

中二病に毒された大学生というのはなんとも痛々しい。それと同様に、いつまでも承認欲求をくすぶらせた社会人のなんと醜いことか。まさに、承認欲求抱えてても許されるのは大学生までだよねー、だ。

そうして、次なる段階へ進むための最初のステップとして、ある思考実験をしてみたのが事の始まりである。驚くなかれ、ここまでは全て長い前置きに過ぎなかったのだ。

とり行われた思考実験の内容とは「承認欲求を抱えていてその先に何が待っているか」である。そして、その結論は「何も無い」であった。

もう少し考えたことを説明すると以下のようになる。

承認欲求にかられる人は多くとも、それを実際に満たすことができるのはほんの一握りの人間だけだ。満たされず、それでもその場を離れようとしない人間に残された道は、無様に我を相手に押し付けて回る迷惑極まりない存在になるか、中二病が帰属欲求の屈折から生まれたように人からの承認を必要以上に拒絶する虚無的な人間になるかしかないのではないか。

そして、自分はおそらく満たされない側の人間だろう。ということは、現在己が進んでいる道の先に待つのはエゴイズムかニヒリズムを全身にまとった痛々しい姿ということになる。それが本当に望む姿なのか?

ここに至り、承認欲求との付き合いはほどほどにして、さっさと次に行ったほうが懸命だと、お餅を頬張りつつ僕は結論付けたのである。

ぷっくりとふくらんだお餅のなんと美味しいことよ。