体を動かすことが体育であって、試合結果を眺めることが体育ではない

体育の授業でサッカーをしたとします。試合をして、どういうチームだったか、試合結果はどうだったか、誰が点を取ったかなどはデータとして(例えばスコアボードに)残ります。
ここで、こんな問いを考えてみます。

体育をする、とはどの状態のことを指すか?
(1) サッカーの試合を行っている瞬間
(2) 試合結果を見ている瞬間

こんな問題は自明で、どう考えても答えは「(1) サッカーの試合を行っている瞬間」です。「結果を眺めること」が体育なのではなく、「実際に体を動かしている瞬間」が体育なはずです。
そうやって考えてみると、例えば数学と体育は非常に似ている面があると気がつきます。つまり、「問題に取り組んであれこれ考えている瞬間」が数学であって、「模試の結果得られた偏差値を眺めること」が数学なのではない、ということです。
僕がまさしく悲しく感じていることは、この点においてであり

運動音痴だけど、体育は好き

という人は意外と多いのに

苦手だけど、数学は好き

という人が圧倒的に少ないということです。本来得意かどうかなんて好き嫌いには関係ないはずなんです。なのに、こと学校教育になると試験結果に一喜一憂して、そして終わり。
そういう人が非常に多いのは、やはり、大学受験のために数学の勉強をさせられている、という感覚があるからなのかな。

学問に取り組む面白さ

って、僕の短い人生経験の中でも結構上位に来る面白さだと感じるのだけど、このことに気がつけたのは自発的に勉強を始めるまで放置し続ける家庭環境で育ったからなのかな。