思考ブローカー

僕の頭の9割方は毒にも薬にもならないような、実に下らないもので占められている。それらはクスリとも笑えない、本当にどうしようもない戯言だ。(この段落を読んだだけで、それは明らかだろう)

かといって、残された1割に光り輝くオリジナルの原石が眠っている訳でもなく、どこかの誰かが語った話をあたかも「私の頭で考えましたよ」と言った涼しい風体で転売しているだけで、内実を知る身からすれば耳も当てられない悲惨な状況にある。

かつてはオリジナルかつ有用な何かを生み出さない己の脳細胞に辟易したものだが、まぁ、そうやって転がすだけでもよいではないか、と最近は考え始めている。

結局のところ、ほんとうの意味で新しい考えというのはそうそう見つかるものではない、という諦めの境地に達しつつあるというのもあるが、それ以上に、どの主張を取り込み、どの主張を退けるかの選択を自分の頭できちんと行っているのであれば、個々の部品はどこかで見た物の焼き直しに過ぎずとも、全体の組み合わせには新規性が生まれ、そいつらには親近感を覚えてもいいじゃないかと、そういうわけである。

あたかも洋服屋のブローカーのようだ。個々の商品は他店とかぶる可能性があっても、全体の組み合わせまで完全一致することはないし、一つの商品だけが優れている店は一刻は流行っても決して長続きはしない。流行り続けるには全体的に高いレベルの商品を供給しつづけるしかなく、そのために仕入れるべき洋服というのは全体のバランスが大事なので、良さげな服をただ闇雲に集めるだけではダメだ。

そういうわけであるから、僕(を含め多くのオリジナルを産めない人々)の課題はいかにして質の良い思考を他者から仕入れるかという部分にある。

そのためには、誰が言っているかでなく、何が語られているかを自分の頭でその都度考えていくしかないよな、と最近よく見る「これからは誰が入ったかじゃなく、何を言ったかが問われる時代だ」的なことを主張するブログを見るたびに思う。