なんとなくドリブン不安で希望を捨ててはいけない

明確な理由も示せないのに、不安だ不安だ、と言うのを
なんとなくドリブン不安
と呼ぶことにした。命名したのはついさっき。無根拠駆動不安でもいい。
とりあえず“なんとなくドリブン不安”に気を取られて希望を持てないでいる人って人生損してる。
例えば、最近よく聞く「日本経済の先行き不安」という単語。
「少子高齢化が…」とか「日本の借金が…」とか言う人はいても、そこからどうして日本の先行き不安に繋がるかを明確に説明できる人なんてほとんどいないんだろう。そういう意味で、多くの人にとって、日本の先行き不安は"なんとなくドリブン不安"であると言える。
だが、忘れてはならないのは、「先行きに不安がない状態」は普通じゃないということだ。その普通じゃない状態を広義にバブルと呼ぶんじゃないかと僕は思っている。
こうなると、先行き不安が無いことの方が不安だと思えてこないか。
「先行き不安はあって当然」→「つまり不安じゃない」→「先行き不安がないのは不安」っていう矛盾はとりあえず置いておくとして、ここで言いたいのは、なんとなくドリブン不安に気を取られて希望を持てないのは違うだろう、ということ。
少子高齢化にしたって、要は、前人未到の領域に日本が足を踏み入れつつある、ということでしかない。歴史上なんども引き起こされた不幸ならまだしも、一度として起こったことの無いことに不必要に怯えて、希望を捨ててどうする。
なんとなくドリブン不安に畏れ慄いてガクブルしてるなんて機会損失でしかない。
どうしても足がすくむなら、キチンと不安要素を評価すればいい。それがリスクマネジメントってもんだ。
そして、まずは最初の一歩を踏み出すことから始める。


自戒の念を込めて、このエントリを記す。