不在証明

期待を裏切られた。思っていたのと違った。

このようなプラスを(あるいはマイナスを)期待したのに実は逆だったという場合、その振れ幅の大きさから我々は必要以上に落胆し、その負の感情が対象への不必要な批判へと発展してしまうことがある。そのような一時的な感情の高まりによって引き起こされた断罪は、突拍子も無いブブカ級の論理の飛躍を含む場合が多く、冷静になってみれば何故あのような考えが生まれたのかと不思議に思ってしまうようなお粗末なものであるが、当事者がそのような論理的な矛盾に気がつくのは誠に困難で、結局誰からも誤りを指摘されることなく、負の感情のみが批判者の大脳皮質に蓄積されるのが世の常だ。

だが、そもそも身勝手な幻想を相手に押し付けたのはこちらであり、妄想と真の姿との整合性の欠如を理由に、相手を批判する権利が果たして我々にあるだろうか。

このような妄想駆動批判によって吊るし上げられる、最たる例がサンタクロースである。ここでは議論の為にサンタクロースを「クリスマスの朝に世界中の子供にプレゼントを運ぼうと画策する人物」と定義することとする。

ちなみにサンタクロースの服装が赤と白を基調とするのは、毎年12月になると放映されるコカ・コーラの大々的なテレビコマーシャルの影響によるらしい。

さて、

トナカイが引く空飛ぶそりに乗ったサンタクロースがおもちゃを持ってくると信じていたが、その実プレゼントを枕元に置いていくのは両親だった!!騙された!

とヒステリックな批判を展開したり

サンタクロースなんて初めからいるわけないじゃん?

と虚勢をはる友人が僕の身の回りには何人もいた。あまつさえ、大学に入ってまで「何歳頃までサンタさんの存在を信じてた?」などと恥ずかしげもなく聞いてくる輩がいる始末。天下の京都大学と言えども、学生のレベルはこの程度なのだ。

はっきり言おう。

あなたの枕元にプレゼントを置いたのが両親であるという現実から主張できるのは、サンタクロースが一晩の内に世界中の子供に直接プレゼントを渡して回っているのではない、ということだけで、そこからそもそもサンタクロースは存在しないという主張を導くのはニッカネン級の論理の飛躍が含まれている。存在しないことを証明することがいかに難しいかは、フェルマーの最終定理の証明に人類が費やした時間の長さからも明らかであろう。

そもそも、物理的に一人のサンタクロースが一晩の内に、実際には地球上を動く日付境界線上に沿って、世界中の各家庭でまつ子供たちの元にプレゼントを運ぶことは、非常に困難だ。(参考 サンタは道を曲がる

それにこの物騒なご時世にあって、真夜中に見知らぬ人物が家にずかずかと入ってくるのを許す人間がどれだけいるだろうか。何の為にその番犬を飼っているのだ。何の為にそのセコムはあるのだ。 

現実問題として、子供たちと最も長く接している各家庭の親にプレゼントの手配及び配達を要請するのは、顧客が求めるプレゼントをピンポイントで提供するという意味でも非常に理にかなっている。

故に、サンタクロースが世界中の大人にお願いしてまわっており、親はそれに従っているだけだという「サンタクロース黒幕説」をおしたい。火のないところに煙は立たぬ。サンタの不在を証明するより、よほど現実的だ。

それにしても、むしろ不思議なのは世界中の親という親が、そろいもそろって糞真面目にサンタクロースの依頼をせっせせっせと遂行している点であろう。一種のマインドコントロールのような恐ろしさを感じる。いや、むしろ集団催眠かなにかの類と考えた方がしっくりくる。

ここで思い出して頂きたい。現在のサンタクロースのイメージを創り上げたのが誰だったかを。そして、サンタクロースの文化が定着することで誰が喜ぶのかを。

こうして我々は、サンタクロースの裏にコカ・コーラ社とおもちゃ産業の黒い繋がりがあることを知る。サンタクロースのあの土手っ腹には、利権によって生み出される膨大な銭が詰まっているのだ。

 

ちなみに、婚約指輪に給料三ヶ月分のダイヤの指輪を送る風習があるのは日本だけであり、そしてこのような風習を広めたのは、まごう事無きダイヤモンド業界だ。彼らが産み出した魔法の言葉「ダイヤモンドは永遠の輝き」が史上最も成功したキャッチコピーと呼ばれる所以である。

洗脳というのは、かくも恐ろしいものなのだ。