なぜ企業は学生にコミュニケーション能力を求めるのかが分からない

コミュニケーションの持つ重要な性質は、それが成立したかどうかは聞き手側が決めるということです。
何を話そうが、誰も聞いていなければ、コミュニケーションなど成立しようが無いので、聞き手側の方が重要だということは自明です。
しかも、人は知覚することを期待しているものだけを知覚する傾向がありますよね。この性質を上手く利用したライフハック術にカラーバス効果なんてものもありますが、それはまた別の話。
結局のところ、受け手のことを知らずに、コミュニケーションを行うことは難しい、ということです。
ここが重要なポイントで、コミュニケーションを図る場合、まず相手のことを知らねばならない。
けれど、相手のことを、いちいち過去の生い立ちまで遡って知ることはできないので、このギャップを埋めるために相手のことを想像する、というプロセスが必要になるわけです。
こちらの考えを分かりやすく説明する能力も必要だとは思いますが、相手のことを想像する力があれば、これは半分以上クリアしていると言っても過言ではないでしょう。

企業はコミュニケーション能力を学生に求めている、というが。。。

またまた京大の話で恐縮ですが、今年のM2の就活状況が散々たるもので、学校側としても戦々恐々としているようです。
内定をもらう人は何社からも内定をもらう一方で、内定が出ない人はどこからももらえないという二極化が進んでる。
専攻長の先生曰く「企業が求めているのはコミュニケーション能力”だけ”。どういう技能を持っているか、とかにはほとんど興味を払わない。」
つまり、京大の院生のコミュニケーション能力が低いことが就職難の原因になっているようです。
それはさておき、僕にはどうしても、コミュニケーション能力を重要視する、という企業の考えが分からない。
コミュニケーション能力が重要なのは言うまでもありませんが、大学生を図る物差しにそんなもの使ってどうするのかと。
先述の通り、コミュニケーション能力とは想像力です。そして、相手の立場をリアルに想像できるようになるには、相手の立場に実際に立ってみることです。つまりは、人生経験です。
二十歳と三十歳で、三十歳の時の方がコミュニケーション能力が向上するとしたら、それは単純な想像力が向上したからではなく、十年間で培った経験によるものだと僕は思います。自分が全く体験したこともないことを想像するのと、実体験に基づいて想像するのと、どちらがより正確かは言わずもがなです。
突拍子も無いことを言いだすことだけが想像力ではないですよね。一般的に新しいアイデアというものは、過去のアイデアの新しい組み合わせに過ぎないと言われます。つまり、経験を積むことで想像力は鍛えることができるはずです。
なのに、企業は学生にコミュニケーション能力を求めるという。
そんなのは、日常の業務や様々な経験を通じて、今後獲得していくことが十分に可能な能力です。特に、会社の業務の中でコミュニケーションをとる相手の種類は限られていると思うので、それこそ、そんなに難しいことではないように思えます。
かたや、学生時代に学んだことや、海外を飛び回った経験などというものは、その企業の中では決して得ることのできないものです。
”学生時代に鍛えたコミュニケーション能力”と”社会人になってから鍛えたコミュニケーション能力”は等価に成り得ますが”学生時代に学んだこと”は業務と直接の関わりがない限り、”社会人になって学んだこと”とは等価にはなりません。
会社の中にあるものを最初から持っている学生ばかり取って、会社の外にしかないものを持っている学生を獲得しようとしない、というのは、僕には、愚の骨頂のように思えてならないのですが、実際のところはどうなのでしょうか。
繰り返しになりますが、コミュニケーション能力が要らない、と言っているのではありません。
ただ、学生を図る際の最重要項目にするという企業側の考えが分からない、ということです。