練習

練習には、意識してもできないことを意識すればできるようにする段階と、意識しなければできないことを意識しなくてもできるようにする段階があって、一段目と比べて二段目に要する労力は飛躍的に高まるので効率を重視するとついつい一段目で満足したくなってしまう。けれど、そこで歩みを止めるとまた直ぐに元の状態に戻ってしまうので、結局その一段目に投資した時間すら無駄になることが多い。

習慣というのがまさしくそうで、「勉強しなきゃ」と思っていても集中できない状態から、机に向かうのが当たり前になることだって、一種の練習なのだと僕は思う。小中高と勉強を全くしなかったけれど、浪人中に否が応でもせざるを得ない状況に追い込まれて繰り返す日々のなかで徐々に階段を登ったから、今では誰に言われるでもなく、自分の興味に従って学ぶようになった。

勉強ができないとか、頭がよくないとか、そういう理由を上げて勉強しない人は沢山いるけど、大抵の場合勉強をする練習が足りていないだけのなんじゃないかと、僕は個人的に思う。そういう習慣があれば、ある瞬間の特定分野における知識量なんて大した問題ではない。