高ければ高い壁の方が諦めた時笑われないもんな

僕は中学・高校と陸上の長距離をやってました。
長距離をやる人は全員Mだ!なんてことを言う人もいたりするけど、あたらずも遠からずというか、少なくともストイックに生きることが嫌じゃない人でないと真剣に取り組むことは難しい競技だと思います。
各言う僕も、ストイックに生きることが嫌いじゃない人間ですので、そんな感じの日々を今でも送っているわけです。もともと自己主張が強い性質の人間なので「(到底自分の実力とかみ合わない山を指差して)あの山を目指す!」なんて大言壮語を繰り返しながら。

努力馬鹿になっている気がする

でも、ふと、目指すだけ目指して途中で放棄された死屍累々とした過去の目標達を見るにつけ、自分はもしかしてストイックに生きている振りをしているだけなんじゃないかという気がしてくるのです。周りの人を、何より自分自身を欺くために。

高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな

と桜井さんは歌う。確かにそうだ、と僕も思う。でも、それと同時に

高ければ高い壁の方が諦めた時笑われないもんな

と、僕の深層心理が感じているんじゃないか。「僕はあの壁に挑んだんだよ!残念ながら届かなかったけど、その過程が大事なんだ!」って言ったら誰もそのことを面と向かって笑うことなんかできないじゃないですか。「夢とか努力とかそういう甘美な言葉を印籠にしてプライドを守ろうと躍起になってるだけなんじゃないの?」とそんなことを思うんです。
「結果より、そこに至るまでの過程が大事なんだ」という価値観が僕は嫌なんです。あくまでも結果に拘りたい。なのに、それに甘えようとしている。一体僕は何をしたいのだろう。
とりあえずtwitter

【急募】実力

とか書いたら、少しは事態が好転しないでしょうか。